沖縄ではお祝い事になくてはならない踊りがある。それがカチャーシーという乱舞だ。沖縄人は、カチャーシーの独特のこねり手、ひねり手をいつ頃からできるようになるか。実は大方が幼時期の体験にあると考えられる。小さな子供か音や音楽に敏感に反応することはよく知られているだろう。沖縄でも然り。幼い頃からテレビやラジオで琉球民謡が流れ、子供、が反応したら親やオジイ、オバア達が「今だ!」とばかりにカチャーシーのこねり手、ひねり手などを教え込むのだ。もはや、刷り込み状態である。そのうち、1歳前後の幼児まで「テンク、テンク」という民謡の囃子に無意識のウチに手をぶりぶり、ひらひらさせるようになる。そうなるとシメタもの。カチャーシーを踊る赤子をカワイイとみんなで褒めちぎり、その気にさせて民謡の世界へと誘い込むのだ。10年ほど前、あるカチャーシー大会に3歳の男の子が出場し、あまりのみごとさに特別賞をちょうだいしたというエピソードがある。今彼は、三線や舞踊を習い、地域のイベントに出ては、お年寄りを喜ばせている。そうやって、沖縄の伝統芸能は、赤子の頃のカチャーシーに始まり、脈々と受け継がれていくのである。
野花南を出て、列車は長い長い島ノ下トンネル(全長2820メートル)に入り、山越えに挑む。トンネルの手前、線路脇に続く旧線のレールも、この雪では隠れて見えない。旧線のレール実は、野花南〜島ノ下間は1991年10月に新線(現行ルート)が開業。それまで、今通過中の島ノ下トンネルはなかった。野花南〜島ノ下間は旧線を経由し、途中駅の滝里(当然ながら現在は廃止)を経て道束へ向かっていた。旧線が廃止になった理由は、ダムの建設。つまり今、旧線の大半と滝里駅はダムの底に眠っている。フランス近代音楽印象派の作曲家ドビュノンーに「沈める寺」という曲があったのを思い出す。水に包まれ永遠に無音の世界に封じ込まれた、沈める鉄路と駅。それはまさに究極の廃線跡といっていいだろう。人の目に触れることは、もう決してないのだから。島ノ下トンネルを抜けて10時46分、8分遅れで島ノ下に到着。野花南からの所要時間は15分、距離にして13・9キロ。2429Dとしては、この後に控える落合〜新得間に次いで、2番目に長い駅間だった。ここで滝川発車前に出会った「フラノスキートレインー号」の折返しの、上り「フラノスキートレイン2号」と交換する。「フラノスキートレイン2号」はすでに上りホームで待機しており、そちらを先発させてから2429Dも続いて発車した。
アルゼンチンの場合はもう一つ難関があって、パスポートを盗られると、入国した証拠がなくなるから、移民局に行って出国許可をもらって来いといわれた。パスポートの再発行を受けて、それから警察に行って盗難証明書をつくってもらい、それを持って移民局にいく。パスポートをもらった翌日がちょうどゼネーストで官庁という官庁が臨時休業。今日出発という当日にギリギリまで走りまわって漸く出国許可をもらい、そのまま飛行場に貯けつけて、滑り込みセーフのような形で飛行機に飛び乗った。アメリカに入るビザもなくなってしまったから三十三時間ぶっ通しで東京まで戻ってきた。他所の国なら出国許可書など不要だが、アルゼンチンでは役所へ出かけたおかげで思いもかけず役所の非能率なところを見せつけられ、なるほどここは白人社会とはいえ、やはり発展途上国なんだなあ、と改めて合点がいった。