必須受験科目の場合でも、嫌いな科目に、物理をあげる受験生が少なくありません。その理由に「受験勉強に時間を費やす割には、得点が伸びない」が一つにあるようです。物理は、それなりに学問体系が存在する科目だけに、取っ付き難いと映るのでしょう。しかし、理屈さえきちんと理解できれば、苦手意識を抱いている人にもさほど難しい科目ではありません。受験時の目安になる「得点力」の面で言っても、数学に比べて伸ばしやすい科目にあげることができます。「得点が伸びない」が嫌いな理由の人は、もしかすると、勉強のやり方が間違っているのかもしれません。それは解答法の求め方にあります。「公式を使って解く」というプロセスは、数学と似ていますが、物理は数学との違いを学問体系という点から見ると、まったく異なっているからです。
初期の大学というのは、もちろん近代の大学のように立派なキャンパスや建物を有するものではなく、単なる人の集まり、すなわち教師を中心にして、勉強したい者が集まった組合的Universitasなものであったということです。したがって、当時は勉強したいものは誰でも参加できたし、場所だって、特定の建物があるわけでもないので、それこそ、橋の上でも、教会のかたすみでも、露地裏でも大学になったわけです。いわば、日本の江戸時代の寺子屋みたいなものでした。しかし、その中世の大学で注目しなければならない点があります。学生は当然教師に謝金を払うわけで、そのかわり教師はその謝金に見合う知識を提供する義務があるとされていたことです。そこで、当時の(組合的大学)学則(一三一七年頃)には、一、教授は一日たりとも休講してはならない一、教授が町から出るときには、戻ってくることを示すため供託(担保)をしなければならない一、教授に五人以上の聴講者を確保できなければ罰金を課す一、鐘の音と同時に講義を開始して次の鐘の鳴る一分以内に終わること一、注解をとばしてはならず決まった分量だけ進まなければならないという大変な契約が、教師と学生の間で交わされていました。今の大学教師にとっては、この学則はまことに厳しいものがあります。
「英語教育に力を入れています」という話ひとつを聞くのにも、漠然と話を聞いているとその学校の指導がただただ素晴らしく思えてしまうことでしょう。けれどもこんな場合でも、ざっと受験案内で他校のこともチェックしてあれば、他の英語教育に力を入れている学校の指導法との違いや特色などに気がつけたり、質問をしたりすることができ、より詳しくその学校のことを知ることができるわけです。予備知識を持っていることで、いくつか挙がった候補の学校の中で、自分たちの求める学校像にいちばん近い学校を探すことができ、学校選びで必要以上に迷ったりしないで済んだり、入学後にこんなつもりではなかった…というようなこともなくなるはずです。また、受験案内で気になる学校をピックアップでき、周囲に候補として話しておけば、さらなる情報が友人、知人とのクチコミからもゲットでき、生の学校情報が手に入るかもしれません。